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2009/05/18 00:05
[佐藤 元彦]
ご報告。

 去る12日夜に母を膵臓がんのために亡くしました。
そのために15日の名古屋ライブ、出演を辞退ということになりまして、来場者、関係各所の皆様に
大変ご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ありませんでした。
この場を借りてお詫び申し上げます。

昨年12月に母は末期膵臓がんという恐ろしい病の診断をされ、春まで持たないとの告知をされました。
既に手術、化学療法が出来る段階ではなく残された時間をどう使うかの段階だと
医師には言われました。
当初、本人、家族ともにいいようのない絶望感の中、
その事実を受け止めることができませんでしたが、立ち止まっていても
時間が過ぎていくばかり...
『あきらめるわけにはいかない!助けたい!最愛の母をなんとしても助けてみせる!』
家族で話し合いを重ね、本人も『何もせぬまま、余命を消化するようなことはしたくない!』
と皆で気持ちをひとつにがんと闘う決心をしました。
色々と調べていく中、西洋医学ではなくとも代替治療といわれる民間療法で
奇跡の回復を成し遂げている例が多数あることがわかり、
迷わず家族全力でそれにかけることにしました。
そして十何年かぶりに家族ひとつ屋根の下での生活がはじまりました。
その間、緊急の入院があったりと、何度もあきらめざるを得ない状況を
家族で乗り越え、4月を迎えたときは、医師の余命宣告を更新したことになり、
皆で喜びと新たな決意を胸に改めて前へ歩みを続けていましたが、
5月に入り衰弱の進行は否めず、母の日のお祝いに皆で食事をしたのを最後に様態は急変し、
12日夜、覚悟を決めた本人は家族ひとりひとりと別れの挨拶をして静かに逝きました...

この母との半年、日常にはない緊張感に包まれていたものの、
ほぼ毎日、食卓を家族一緒に囲み、まるで、昔の子供時代に戻ったかのように
楽しいひとときを持てたのは本当に嬉しかった。
大人になった今のこの時期、母とともに毎日を暮らして、
幼い頃にはわからなかった母の考えやお互いの価値観や人生観を
じっくり話し合えたのは何よりの財産となりました。
ただ、それまで存在することが『あたりまえ』だった母を失った今感じることは、
未熟な僕にとって弱っていく母を看病しながらも、
どこかで『あたりまえ』に存在する母という概念が最後まで消し去れなかった甘さです...

そして、逆に母は弱りゆく体とがんの苦痛、もっといえば死を前にしても、
どこかで家族のことを一番に考えているという母としての性を持ち続けていたこと...

『あたりまえ』といったことをどうとらえるか、情けなくも自分のルーツという
大きな存在を失った今、やっと少しは考えられるようになった気がします。

この世の中に『あたりまえ』なんてものはないと思います。
半年前には露ほどにも感じていませんでしたが...

毎日の自分の生活の周りにある『あたりまえ』、
両親、兄弟姉妹、恋人、友人、先輩、後輩、学校、仕事...
そういった人たちや場所でのありきたりの日常がどんなにか貴重でありがたいことかということ。


母は、そのことを、母性の絶対性、普遍性とともに死をもって僕ら家族に表現しきりました。

僕もいつの日か子供を持って母が伝えてくれたこの愛と真理を
子供たちに発現できればと切に思います。

正直いうと、この半年の間、音楽なんてどうでもいい、やめちまおう!
と何度も思いました。
でも、そのつど、本来励ますべき対象のはずの母が僕の後押しをしてくれました...
そして、実際、僕自身、音楽に救われました。
ベースに、楽曲たちに、メンバーに、みんなに...

やはり僕はミュージシャンです。それ以外にやれることはありません。
そしてこれからはこの経験を音に表現し伝えるのが使命だとも。

このたびは本当にみなさんには色々と迷惑をかけましたが、またこれまで以上に
全力で音に自分の生き様を投影していきますので、どうかよろしくお願いいたします!

佐藤元彦

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